こんにちは!ここです。
今日は私がうつ病になってしまった日の記憶です。
こちらの記事の続きです。
はじめての心療内科
ここ、心療内科へ行く
まさか自分が精神科に行くなんて思いもしていなかったので、正直ものすごい嫌悪感はありました。
私はまだ頑張れたんじゃないかな?
こんなので病院行っていいの?
ただの甘えなんじゃないのかな?
精神科に入るところすら誰にも見られたくなくて、キョロキョロしながらサッと入っていきます。
でも、病院に入ると意外にも、「普通の人」が多くて安心しました。
みんな、色々あったのかな・・・。
先生もとても優しい人で、お喋りしながらまた号泣。
もう、感情が完全に壊れていました。
それから、定期的に心療内科へ通いお薬をもらう生活を続けました。
私が頂いた診断書には「うつ病」と書いてありました。
会社からのお手紙
その日から私は会社に行けなくなり、お家では一人で泣きじゃくり、もう仕事どころか生活もままなりません。
でも、無言で会社休むのも・・・
とりあえず連絡はしなきゃ。
と、会社形態を取り出すと、既に会社から連絡が来ていました。
「ゆっくり休んでくださいね。」
それは、しばらく会社を休んでいいとの通達でした。
そのメールを読んで肩の荷が下りたのか、そのまま気絶するように24時間以上寝ていました。
数日後、会社からお手紙が届き、正式に休職に入ることに。
会社も今月だけで、この通達何人に出してるんだろ。
人事部とのそのやりとりが、まあ結構冷たくて、そこでまた一人で凹む私。
この時には会社と少しでも関わるだけで、だいぶ心がすり減るようになっていました。
そういえば、完全に蒸発しちゃった子もいたなぁ。
みんな元気でやってるかなぁ・・・。
お家での過ごし方
この頃私は一人暮らしをしていました。
あの日から突然、体が鉛を背負っているかのように重くなり、ベッドから起き上がれない日も多くありました。
それまでは大好きだったお料理も、お腹が空いても作れないんです。
ウーバーイーツを呼ぶのですら大変で、玄関まで歩くのも、人と接するのも辛いんです。
幸いにも家族が近くに住んでいたので、この状況を連絡しました。
私がこんなことになってるなんて、どう伝えていいか分からないくらい自分の状況を恥じていました。
家族がすぐに飛んできてくれて、しばらくお世話になることになりました。
回復まで
正直、なにをもって回復といえばいいのかは分かりませんが、先生からはお薬を辞めていいよと言ってもらえました。
ただ、それまでの期間は1年以上あったと思います。
社交的でアウトドアだったのに、外に出たり、人と会うのを避けるようになり。
かといって家の中で何かできるわけでもなく・・・。
1日20時間寝る日も多かったです。
家族には「どうしたの!?そんなこと今まであった!?調子悪いの?」ととてもびっくりされましたが、これが現在の調子としか伝えられないんです。
ごめんね、お母さん、お父さん・・・。
両親には本当に迷惑をかけてしまったと思っています。
でも、嬉しいことがひとつ。
長年一人暮らしをしていたので、久々に家族に甘えるということができました。
そして、家族との久々の時間に幸せを感じていました。
この頃から、幸せについて考えるようになったかな。
あとは家族との時間を大切にしようって改めて思えるようにもなりました。
そんなわけで、体はほとんど機能していなかったものの、心の温かさを取り戻していったのでした。
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